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近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

京都に移住して7ヶ月が経ちました。

5年前に、実家の八百屋を継いだら面白いな。と思いました。

移住をするのに5年かかりました。

この一年は目まぐるしいものです。

一年前に、出産準備のため、所沢にある妻の実家に居候のため東京から引越。

1月にこどもが生まれました。

4月で、株式会社地元カンパニーを退職しました。

5月、ゴールデンウイーク明けに、家族3人で京都に引っ越し。一先ず実家に住みます。

この間、約1年をかけて、父の実家である築120年の町家をリノベーションしました。

その仕上げの部分をできるところはDIYで、床塗り、ウッドデッキ、物置き、棚、その他諸々、大工仕事の日々。

6月半ばに完成。

そこから少しずつ、父親について回って事業の勉強。

まずは閉まっていた八百屋のシャッターを開けたい。

そういう思いで、お店をまたまたDIY。床を塗り塗り。照明を変え変え。

8月半ばに八百屋を新規開業して、今に至ります。

想像していた以上に、お客様にお越しいただけるお店になって。

想像していた以上に八百屋のおっちゃん仕事をしています。

自分の土台を作るために、もう少しこういうことを続けるつもりです。

 

僕は京都移住と事業承継という二つのことで表現したいことがあります。

「続ける」ことをしている人がかっこよくなる世の中づくりです。

僕が京都に移住した最大の目的は「家族」を続けることです。

結婚して、妻とこどもがいます。

家に帰って、家族でおいしいご飯を食べる。これをずっと続けたいのです。

それを実現するために一番良いのは、京都で家業を継ぎながら暮らすことだと判断しました。

なので、家族でおいしいご飯を食べるために、家業を続けるために、しっかり稼ぐこと。を、これからも続けていきたいと思います。

 

そして、地元に戻って、自分の家族とおいしいご飯を食べるために、家業をついで泥臭く働くことってかっこいいよね、

っていう世の中になるように、表現を続けていきます。

 

移住は時間がかかります。かけた時間の分だけいろいろ背負い込みますが、支えてくれる方々に深く感謝をして、

しっかりと、続けていこうと思います。

 

移住は、時間がかかります。

僕にとって移住は、泥臭く、続けることです。

 

 

 

京都に戻ろうと思った理由〜岡山編〜

 

※この投稿は、2013年5月に私が前職である株式会社地元カンパニーに入社した時に書いた記事です。大企業で働く続けることに疑問を感じつつも、なかなか現状から脱却できなかった自分からの解放がテーマの記事です。20代中盤でモヤモヤ期のサラリーマンの方は是非どうぞ。

 

人生なんとなくモヤモヤしている社会人のみなさまこんにちは。

こちらは大手ゲームメーカーを退職し、

実家である京都の八百屋を継ぎたいと思いたち、

現在は地元カンパニーという会社で働いている30歳既婚男性のブログです。

なんで東京で大企業にいたのに、京都に戻ろうと思ったのか、

つらつらと書き連ねています。

前回の投稿で、京都に戻ろうと思った理由、モヤモヤしていた理由の一つで

鳥取県の田中玄洋さんからの影響について書きました。

実は、もう一人、僕がセガにいる最中に

僕のことをモヤモヤさせる地域で頑張る人がいました。

井筒木綿子さんというのですが、(以下あだ名のもめで呼びます)

今は岡山県西粟倉村の村楽エナジー株式会社でバイオマスエネルギーの

最先端を突っ走るパートナー、井筒耕平さんをありとあらゆる面で

支えながら二人の子育て中。

もめは大学時代のゼミの同級生なんですが、

当時は特にというか、全く仲良くなかったんですね。

僕は前回の記事の通り、ゼミで鳥取の農村体験イベントなんかを企画したりして

何かと活動的だったのですが、彼女は大学は授業だけ受けてそそくさと帰るタイプの

学生でした。

ところが、

僕が社会人2年目くすぶっているところに、もめが会社を辞めて結婚して

岡山でいなか暮らしを始める情報が飛び込んできます。

なにそれ。

もめと耕平でmenpeiというユニット夫婦に。

二人のことはこちらからどうぞ。menpeiのサイトです。

facebooktwitterから飛び込んでくる、もめの充実したいなかLIFE。

ある日、友人とともに僕はその事実をこの目で確かめるために、

吉永という町を訪れます。

そこで語られる、充実の日々。会社組織に捕らわれない生き方、自分に正直な生き方。

がつーんときました。

でも不安でしょ、稼ぎが持つのかとか。その辺の話はその時は聞かなかったかな。

まだ、モヤモヤしながら別れたのかな、その時は。羨ましさが募っただけで。

それから、ますますモヤモヤする僕。

もめはコーヘイさんと共に、今度は上山集落というところに移住。

棚田の再生と林業再生に取り組む。子供もできる。

会社辞めて田舎暮らしで子育てできるんだ。

もめはますますきらっきらに見えた。

上山集落の本も読んだ。もめが自分でつくった、子供が産まれるまでの映像も見た。

なんだこの生き方は、と。

それでいろいろコメントすると、またもめが煽ってくるわけですよ。

こっちの世界は楽しいぜ、とばかりに。

環境を変える不安、新しい世界に飛び込む不安、

会社という大きなものに守られなくなる不安、

ちゃんと稼いで生きていけるのかという不安。

それは一生つきまとうものだけれども、それを超越した次元で生きていくことを選択した人。

僕がモヤモヤした時にいつも出てくる、もめの姿。

もちろん、楽しいことばかりではない、むしろ辛く苦しいことのほうが多いはず。

しかし。

京都に戻る決意をした今、生きていく手段、場所は全然違うけど、

自分の力で今、未来をつくっていくという生き方に少しずつ近づいてきて、

もめと同じフィールドに近づけたかなと思っています。

地元カンパニーに転職した去年、夏休みに上山集落のもめとコーヘイさんを訪ねて、

家に泊めてもらいました。

もめに上山集落を案内してもらいました。

なぜか岡山の限界集落の山頂にあるヘリポートで、もめは話してくれました。

上山集落で人と人がつながる、巻き込み巻き込まれて巻き起こるめくるめくストーリー。

一般的には無謀と思われることに信念をもって取り組むことで生まれる充実感。

「いろんな人が主体的に関わることで、ちょっと信じられないことが起こっている。

 ディズニーランドよりドキドキする出来事が毎日起こっている。

 外から人が集まって、一つ一つが奇跡みたいにつながって、

 また新しいエネルギーが生まれていく。

 だから毎日がメリーでたのしいんやで」

と、そんな語り口だったと思います。

その時のもめはうっすら目が潤んでいました。

僕は、もめと話して初めてブルっと鳥肌が立ちました。

田舎だからではなく、町でもできる、京都でも僕はそんな体験をしたい。

今はそう思っています。

ブルっと鳥肌が立つような瞬間、感じたくないですか。

地域で当事者になって、人と人とをつないでエネルギーを集めて、

新しい生き方を示すことができる人間になりたいと思います。

とはいっても肩肘張っていたらできないし、

それが自然体でできる人が、今かっこいい人だと思います。

自然体で、自分が正しい、やりたいと感じたこと、衝動に従って

しなやかに生きていきたい。

いつもそう思わせてくれる、もめとコーヘイさんと風太くんとたねちゃんと、

また会えるように、がんばらねばいけませんね。

コーヘイさんが代表の会社、村落エナジー株式会社

http://sonraku-energy.lolipop.jp/wp/

2回続けて、外部の人に影響を受けた話を書きました。

この2つだけが、セガを退職して京都の八百屋を継ごうと決意した要因ではありませんが、

大きな組織にとらわれず、オンとオフの境界線をなるべくなくし、

今目の前を生きている二組の影響はとても大きいものでした。

あと、玄洋さんもmenpeiの二人も結婚して子育てもしているところも

とても尊敬、そして共感できるところです。

地域のトップランナーになるのに子育てはハードルではない、

それすらも人生の喜び楽しみとして実践していく姿勢を見習いたいです。

子どもは尊いです。

 

京都に戻ろうと思った理由〜鳥取編〜

 

※この投稿は、2013年5月に私が前職である株式会社地元カンパニーに入社した時に書いた記事です。大企業で働く続けることに疑問を感じつつも、なかなか現状から脱却できなかった自分からの解放がテーマの記事です。20代中盤でモヤモヤ期のサラリーマンの方は是非どうぞ。

 

地元カンパニーに転職して1年3ヶ月がすぎました。

転職したてで書いたブログを1年以上放置していたのですが、

この半年で5人の人に更新してくれと言われたので、ようやく更新することにしました。

よくある社会人モヤモヤ解消の記録を綴っていきます。

僕の自己紹介とセガを辞めた経緯は過去の記事を参考にしてください。

モヤモヤしている原因は、人それぞれだと思いますが

私がモヤモヤしていた原因にはそれまでに出会った人の影響も大きいです。

それが前回の記事の3つ目の理由に当たる部分ですね。

まず、僕は大学時代に鳥取県の智頭町中島集落というごくごく小さな集落を舞台にした

農村体験イベントを企画したことに端を発します。

そもそも最初の最初、意識高い系イベント企画系大学生であった僕に、

鳥取の集落は魅力のない場所でした。

ここを舞台に何か事を起こしたい後輩がいて、

ゼミの先生が見るに見かねて僕に声をかけて、

プロジェクトを作って助けてやって欲しいと声をかけて頂いたのが

最初だったと思います。うまくプロジェクトを進められない後輩に

イライラしながら無理やり鳥取に連れて行かれて京都からのバスの車中

後輩に説教していたことを覚えています。

そこで出会ったのが、学生人材バンクの田中玄洋さんです。

最初は玄洋さんがどんな人かもわからないし、田舎以上の田舎だし、

と思ったのですが、玄洋さんを中心に集落のおじさんに村を案内してもらって、

「良い、これは良い」となんとなく思いました。

何にも無いけど、畑があって野菜はそこら中にあるし、景色はキレイだし

山に入れば天然のわさびまである。美しい。素晴らしい。

でも、そこに住んでいる人たちは補助金で作ったログハウスの公民館の

活用方法に悩んでいる。この場所のために何かしたい、直感的に思いました。

多分帰りのバスは、結構興奮して後輩に話していたはずです。

それから、ゼミのメンバーと企画を考えて、玄洋さんを通して企画を練り上げて

3年生の夏に京都の学生15人ばかりを連れて2泊3日の農村体験イベントを実施しました。

「村咲ク」という企画です。鳥取の大学生との交流の場にもなりました。

どろんこバレーをしたり、みんなで野菜を収穫してカレーを作ったり、

集落で過ごした体験を写真にとって、村の魅力を村民に発表するような企画をしたり、

それはそれは楽しい時間を過ごせました。

集落の人も若い人が来て本当によかったと喜んでくれました。

やってよかったなと思う一方で、玄洋さんへの尊敬の念が高まりました。

鳥取大学進学の為に、静岡から鳥取へ居を移し、

学生人材バンクを立ち上げ、鳥取の学生と地域を結ぶ人材ネットワークを構築し、

鳥取を駆けまわって地域の人からの信頼を獲得する玄洋さんの継続力、その力は

本当にすごいと思いました。

それから大学を卒業するまで、6回位は鳥取に行ったと思いますが、

地域に根を下ろして活動することの素晴らしさを痛感しました。

玄洋さんは僕達が卒業したあとも、この小さな中島集落での

「村咲ク」をずっとサポートしてくれています。

もう、9年連続で。本当にすごいし、感謝です。

それから、就活に入った僕ですが、

当時は地域で働くというのは選択肢にありませんでした。

地元カンパニーも無いし、仕事百貨もないし、greensもないし、

何の情報もありませんでした。

しかもにわかに景気はやや右肩あがり、就活生は売り手市場。

僕も就活はスイスイ進み、セガに内定。

その後、ずっとモヤモヤしていた原因の一つは、

玄洋さんがあんなに地域でがんばっているのに僕は何をしているんだ?

という感情でした。

でも、それを解消する術がなかった。

セガレに入って、セガを辞めて、地元カンパニーに入って、ようやくそれが解消されました。

結局やりたいことを見つけて、それをやる以外にモヤモヤを解消する方法はないということですね。

イコール、リスクを取るということです。

僕は、社会人経験を積んだ結果、今リスク全開の道を選んで、

地元で生きる選択をし、その為に地元カンパニーで今働いています。

最近、良く大学生に会う時に言います。

今は、20代30代でイノベーションが起こって、

優秀な人がドンドン地元地域に戻って仕事を作っている。

僕が学生の頃はそんな働き方があるなんて知りもしなかったけど、

今は選択肢があるし、地元に仕事が無いとか言うのは嘘で、

やる気が無い人がやってないだけで、やることはたくさんある。

確かに大手企業で、営業の経験を積むのもかなり重要だし、

会社で働けばこの国がどういう仕組みで動いているのかよく分かる。

一方で、やりたければ即地元地域で働くこともできるのが今です。

どちらが良いか正解なんかはないと思うので、

自分がやりたいと思うことをドンドンやっていけば良いというのが

結論だと思います。

やりたいことが無いとかいう人は無責任ですけどどっか適当に就職するのも

良いと思うし。そして、そこでモヤモヤしたらやりたいことできるかもしれないし。

結局モヤモヤを解消するにはやりたいことをやるしかありませんしね。

地域で頑張っている人がかっこよく見えるのも、

やりたいことをやっているからです。

自分でもなんでこんなリスクある方向にばっかり向かうのか

わからなくなる時がありますが、やりたいのだから仕方ないと言い聞かせています。

これからもっともっといろんな生き方、働き方が生まれてくるし、

その中で、一生懸命生きていく、

それを実践する立場でいたい、いつまでも挑戦者でありたいと思うわけです。

今日はこれまで。

玄洋さん、いつもありがとうございます。

NPO法人学生人材バンク

 

ピーマン一個畑で収穫するのがものめずらしかった、

20歳の夏。12年前。