近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

フードロスという言葉に興味がある人に知ってほしいこと

こんにちは。

京都七条千本の八百屋、西喜商店の近藤です。

普段は、産地直送!今が旬!有機無農薬!

と、耳障りの良い言葉を使ってプロモーションしていますが、

当店の商売の基本は京都中央卸売市場の場外売店という立場です。

私も八百屋をついでまだ1年半ほどですので、

まだまだ知識が追いついていなことが多いです。

 

ただわかっていることは、

市場には供給過多の野菜、果物が数多くあるということです。

今日僕はこれだけの水菜を捨てました。

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これは、市場で供給過多になっていた京水菜です。

120袋廃棄寸前だったのを引き取って店頭で50円で売っていますが

それでも捌ききれませんで捨てています。

もちろん50円で売ったところで儲けにはなりません。

 

当店にできることとして、北野白梅町「魔法にかかったロバ」

にて開催されるこども食堂に提供していますが、

月に一度だとタイミングがあわないことも多いです。

こういう廃棄寸前の野菜は不定期でしか入荷しないので、

こういった福祉事業との連携は難しいのですが、

なるべくお金がかからないような工夫をして、

連携してくださる方がいたら教えて頂きたいです。

 

また、業務用のLINE@を作って、お買い得品として販売しています。

捨てるよりは使ってもらったほうがいいです。

どう考えてもどこのスーパーよりも安い価格を提示しています。

どうか、このLINE@をシェアしてもらえませんでしょうか。

nishikisyouten.storeinfo.jp

 

八百屋という商売は生鮮品を扱う商売で、廃棄ロスとの戦いです。

ビジネスですので、ロスがでるということはどんな業界も承知の上で

商売をされているとは思いますが、あまりにもったいない時があります。

自分で判断して仕入れすぎて余ったときは自分で買い取って食べれば

いいだけの話ですが、市場の供給過多はまた別の問題かと思っています。

 

生産者にスポットライトがあたり、

生産者と消費者のつながりが質も量も増えて、

消費者に食に対する意識が格段に向上している時代だからこそ、

こういった流通の裏側のお話もぜひ知って頂ければと思います。

 

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 八木町の今西さんにはお会いしたこともないし、

どんな方かも知りませんが、

おいしい京水菜をつくられていることは確かです。

すべての流通が、生産者と消費者をつなぐサービスになることは理想ですが、

今の日本の仕組みはそうなっておらず、

その今の仕組みをしってもらうことも大切なのではないでしょうか。

 

お客様は神様な訳がない。

travel.spot-app.jp

とてもいい記事だと感化されました。

商売はお金と商品の等価交換とはその通りで、

お金を払ったら何をしてもいいという考え方はなくなるべきだと思います。

特に単価の低いサービスを提供する事業者は本当に下に見られるなと

八百屋を継いでつくづく思います。

これ、耳にタコができるまで言います。

市民の生活を支えているのはそういう低単価サービス事業者なので、

そういう事業者を敬う空気感をどう演出するかって言うことを

当面の課題としたいです。

こういう価値観の演出が、最終的に農家さんなど一次産業従事者の

地位向上につながりますからね。

つくり手がいて、売る人がいて、調理する人、加工する人がいて、

生活が成立しています。社会が成立しています。

お金を払ったらすぐに食べ物が出てくるわけではないのです。

630円のラーメンが食べられるまでの裏側を伝えてくれたこの記事は、

現代の多くの大人に読んでもらいたい記事です。

僕も野菜や果物を作ってくれるつくり手さんの価値を伝えられるように

がんばります。

 

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大きい会社はどんどん大きいことをやればいい

japan.cnet.com

Amazonの食品配送サービスが話題です。

はてブのコメントを見てるとネットスーパーの方が便利という声も

多いので、大手スーパーにはどんどんやりあってもらいたいと思います。

 

八百屋的には、あるいは小さな小さな極小商売人的には、

大きなものが大きくなればなるほど、

小さいものに価値が出てくるのではないかと感じるわけです。

というか、そこに価値を出していかないと存在意義なくなりますもんね。

 

八百屋の商売で差別化するところって仕入れがほとんどだと思うし、

物語のある仕入れ、それしか僕に出来ないし、

それは大きい会社にはできないことだから、

(適当に生産者の名前書いて安心安全ですみたいなのもう無いでしょ)

自分に意味づけ、価値づけして、物語つきの野菜を売るしか無いですね。

味は抜群なのは当たり前として。

(だから農家さん、市場との関係性を大切にすること)

 

格差がどんどんどんどん広がる世の中で、

(そしてこれからもどんどんどんどん広がっていく世の中で)

小さいものがどのようにして生き残っていけばいいのか。

 

一方で、旬八青果店とか坂ノ途中はガンガン資金調達して

大きなっているのをみると、薄利多売の商売は規模を大きくしないと

意味ないのかなぁと思ったりもして、貧しく悩んだりもします。

 

まあでも今の所は、個人に意味づけして

弱者の立ち回りで僕にできることを最大限アピールして、

やりきってお客さまによろこんでもらおうと思って毎日野菜と果物を見ています。

 

大きいものVS小さいもの。

まあ、そうでもないかな。それぞれかな。

流れるままにかな、とも思ったり。

来る時が来たらそういうときだし、

やはり今できることを精一杯、一生懸命かな。

相変わらず青臭いですね。