近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

NUMBER GIRLと僕の後悔

ナンバガが復活するらしい。

natalie.mu

 

ナンバガくるりスーパーカー、このいわゆる97年世代、

ロキノン系の先駆者。

84年生まれの僕的にはちょっと早すぎる人たちでした。

さよならストレンジャーが1999年。

透明少女が1999年。

中3には難しいわ。。

ちなみにMAKING THE ROADも1999年。

中学生と高校生の壁って厚くないですか?

僕、ことあるごとにこのバンド好き84年世代の受難について

ぼやいているので共感できる方はぜひ友達になってください。

 

そんな世代でも耳の早い友達が学年に1人はいて、

そう僕の同級生ならおもいつく変わり者のドラムのあいつ。

高2の時、すなわち2001年留学から帰ってきてちょっと複雑な人間関係に悩んでいたとき、

多分、どこかで僕がアコギを弾いているのを見たのだろう彼が、

突然MD持ってきて、

「コンドウくんこれ聞いてくれへん。めっちゃかっこいいから」

と言うてきた。ナンバガだった。どのアルバムかも覚えていない。

84年世代っていうのはダンスブームが始まったときなのでバンドに興味持つやつはホント少なかったし、多分自分と同じ興味を持ってくれるやつを探していたんだと思う。

ほんで聞いた。

しかし当時ゴリゴリのゆずっこで、

ただDragon AshSNAIL RAMPのおかげでようやく邦楽ロックへの道が

開きかけていたくらいの僕にはいかんせん難しすぎた。

なんとなく一周聞いて、それで終わってしまった。

ただ、そんなに仲良いわけではない僕にわざわざMD持ってきて

爆音の音楽を聞かせてくれた出来事は相当インパクトがあった。

 

優しい彼はその後僕と文化祭でバンドを組んでくれたわけですが、

ナンバガをやる流れになるはずもなく、今思うととんでもない後悔をしている。

ああ、あの時もっとあのMD聴き込んでたら、人生変わってたなぁくらい思っている。

むちゃくちゃかっこよかったよなぁ。気づきたかった。この後悔は一生続く。

僕がナンバガに気づいたのは2006年RISINGの向井秀徳アコエレ

遅すぎた。ほんまにごめん。