近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

地元カンパニー入社時の自己紹介

※この投稿は、2013年5月に私が前職である株式会社地元カンパニーに入社した時に書いた記事です。大企業で働く続けることに疑問を感じつつも、なかなか現状から脱却できなかった自分からの解放がテーマの記事です。
20代中盤でモヤモヤ期のサラリーマンの方は是非どうぞ。




はじめまして。

近藤貴馬(とおま)です。

2013年5月から㈱地元カンパニーで働かせていただくことになりました。

営業を担当しております。

京都の八百屋のセガレです。

できたら二年くらいで京都に帰って八百屋を継ぎたいと思っています。

皆さんに早く自分のことを知っていただくために、

この場をお借りして自己紹介をさせて頂きながら、

あれやこれやと思ったことをごりごり発信していきたいと思います。

もう一度言いますが、僕は京都の八百屋のセガレです。

父親は京都で八百屋を営んでいます。

ただ、八百屋といっても、店先で「らっしゃいらっしゃい」

てな感じではやってません。

昔は店頭販売もやっていましたが、20年程前にやめました。

近くにダイエーができたり、なんだりかんだり、いろいろあったみたいです。

では、どんな商売をしているのかというと、

JRAのトレーニングセンターが滋賀県栗東市にありまして、

縁あって父親が調教師さんと知り合いで、

そこに馬が食べるにんじん、りんご、キャベツ、大根などなどを

配達することで生計が成り立っています。

それを八百屋と呼ぶかと言われれば怪しいところですが、

まあ、そういうことにしてください。

飲食店に卸していたこともありましたが、

平たく言えばトレセンへの配達だけで手一杯になってきたりしたのもあって、

今はこれがほとんどの収入源です。

この仕事一本で僕は大学を卒業させてもらいました。

実家は京都の西院です。

ざっくりいうと嵐山とか金閣寺とか、ソッチの方に行く時に通過する

普通の住宅地です。

いわゆる田舎では全くなく、

近くにイオンとジョーシンがあるような普通の住宅地です。

普通の住宅地に育ち普通に中学に行くのが嫌で、

中学受験して立命館中学校に入学しました。

小学校6年の頃が一番机に向かって勉強したと思います。

そこから大学までエスカレーターでスイーッと進学しました。

中学は普通の野球少年でしたが、

そこから高校を卒業するまで、

やっぱり普通になるのが嫌で、

アメリカに留学してみたり、生徒会長をやってみたり、バンドをやってみたり、

がんばりました。ただ、がんばりすぎました。

順風満帆に見られるところが歯がゆいところですが、

違う違う、そうじゃ、そうじゃないんです。

苦境だらけの高校時代でした。

大学時代は政策科学部という学部の中で、

ここは結構エンジョイしていました。

大学生活は本当に楽しかったです。

ここで自分にとって大きなターニングポイントがありますが

それは今度書きます。

で、さんざんエンジョイした後、

株式会社セガに入社しました。

で、いろんなことがあって、

セガを辞めて京都に帰って八百屋を継ごう!と思い立ちました。

(何がどういろいろなのかも今度書きます。)

でも父親から猛反対を受けて、説得を続け、納得させ、

(ここ、1行で納めるほど容易いものではなかったですがこれも後ほど。)

で、継ぐことを決めたんだけども、

その前に地元カンパニーで働きたくなったので、

今ここにいる、そんな感じです。

ふー、申し訳ありません。ちょっと自己満足。

でも書きたくて。

次回からはよく聞かれる、

なんでセガをやめて、

なんで八百屋を継ぎたくなって、

なんで地元カンパニーで働きたいと思ったのか

を書いていきたいと思います。

 

ぼくはにんじんのおかげで大きくなりました。