近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

大きい会社はどんどん大きいことをやればいい

japan.cnet.com

Amazonの食品配送サービスが話題です。

はてブのコメントを見てるとネットスーパーの方が便利という声も

多いので、大手スーパーにはどんどんやりあってもらいたいと思います。

 

八百屋的には、あるいは小さな小さな極小商売人的には、

大きなものが大きくなればなるほど、

小さいものに価値が出てくるのではないかと感じるわけです。

というか、そこに価値を出していかないと存在意義なくなりますもんね。

 

八百屋の商売で差別化するところって仕入れがほとんどだと思うし、

物語のある仕入れ、それしか僕に出来ないし、

それは大きい会社にはできないことだから、

(適当に生産者の名前書いて安心安全ですみたいなのもう無いでしょ)

自分に意味づけ、価値づけして、物語つきの野菜を売るしか無いですね。

味は抜群なのは当たり前として。

(だから農家さん、市場との関係性を大切にすること)

 

格差がどんどんどんどん広がる世の中で、

(そしてこれからもどんどんどんどん広がっていく世の中で)

小さいものがどのようにして生き残っていけばいいのか。

 

一方で、旬八青果店とか坂ノ途中はガンガン資金調達して

大きなっているのをみると、薄利多売の商売は規模を大きくしないと

意味ないのかなぁと思ったりもして、貧しく悩んだりもします。

 

まあでも今の所は、個人に意味づけして

弱者の立ち回りで僕にできることを最大限アピールして、

やりきってお客さまによろこんでもらおうと思って毎日野菜と果物を見ています。

 

大きいものVS小さいもの。

まあ、そうでもないかな。それぞれかな。

流れるままにかな、とも思ったり。

来る時が来たらそういうときだし、

やはり今できることを精一杯、一生懸命かな。

相変わらず青臭いですね。

 

 

 

事業承継で直面するいくつかの悩み①〜父親との関係について〜

最近、事業承継について話を求められることが多いので、

手が空いた時に思いついたことを書き留めていこうと思います。

 

私の八百屋、西喜商店は先祖代々の家業を継いだパターンの

事業承継です。

おおよそ90年前に曽祖父が始めた八百屋を、

祖父が今の場所で引き継ぎ、

さらに父親が引き継ぎ、

今現在私が引き継いでいます。

 

従業員は雇ったことは無く、

これまでずっと家族だけで商売を続けてきました。

 

これで難しいことが、父親との関係です。

至る所でお話しているのですが、

私は父親のことが好きではなく、

父親のようにならないようにという一心で生きてきました。

その結果八百屋を継ぐことになったのですが。

 

今は父親と二人で仕事をしています。

していますが、いかにして父親に会わないようにするか、

というのが自分の至上命題です。

店番には母親も手伝ってくれるので、

母親を壁にしてうまく回避しています。

 

父親とは一緒に仕事はできません。

父親はいまだになぜ私が八百屋を継いだのが、

その意味は理解できていないと思います。

父親は完全なる昭和人間で、

情報収集の強度は新聞、AMラジオ、週刊誌、テレビの順番です。

インターネットに触れたことはありません。

 

この時代だからこその八百屋の価値、

例えば野菜を食べる楽しさを伝えること、

生産者の価値を伝えること、

小商いの面白さを伝えること(どこで買うかではなく、誰から買うかの時代)

は理解できません。

伝えても無駄だと思っています。

 

コーチングやカウンセリングを受けて、

父親との関係を改善したいとも思いません。

このまま穏やかに時がすぎることを望んでいます。

(ちなみに私自身はコーチングを受けたことがあり、

 その価値、意味、技術の凄みは理解しています)

 

それでいいと思っています。

多くの人が悩む時代の閉塞感の一因は

団塊の世代(その近辺の世代)の一定層で、

依然として昭和的価値観が残っているからだと考えています。

(もちろん、その世代の方でも時代の潮流、価値を読み取る

 感度の高い方はたくさんいらっしゃいます)

私の父親はその典型です。

これは変えることができません。

来るべき時が来るのを待つしかありません。

それが事業承継の一部だと考えています。

 

親子間の関係は、家庭ごとに全く異なりますし、

正解はないはずです。

ただ、親は子の考えの変化についてこれることは稀だと思いますし、

劇的な変化を望むことは難しいでしょう。

 

うまく流れを見て、

自分のやりたいことを、

これまで先代が作ってきた事業の中でどう組み込み、

どう表現するか。

難しいことですが、家族間事業承継の際に

最初に立ちはだかる壁であり、工夫すべき点かと思い書きました。

 

※同じ境遇の人同士で飲んでパーッと憂さ晴らしするのが

 一番いいと思います!!

 

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八百屋という職業の価値を高める必要がある。

八百屋に限らず、農業でも、漁業でも、

第一次産業に近い位置で働いている人の価値を高める必要がある。

 

まず、八百屋をやっていると3割位のお客さんがタメ口で話してくる。

ありえない。

たまにキレてタメ口で聞き返すこともある。

ありえない。

あきらかに八百屋という職業を下に見ての行動だ。

すっかり常連さんになった近所のおばちゃん、とかはいいんやけど、

どういう了見で接しているのかと聞きたくなる。

 

次に、名刺交換をした時にはぁ、八百屋・・・みたいな感じで

マウントポジションを取りに来る人がいる。

そういう態度をされたらすぐに、

元々SEGAで働いてまして云々の話をすることにしている。

態度が180度変わることも多い。

 

市場の問屋さんあたりも最近は丁寧に接してくれる方が多い。

京都新聞に載ってから態度が変わった人もいる。

 

僕は年下の人でも基本的に仲良くなるまでは、

敬語で話すことにしている。

人としてそれが当然であるという教育を受けてきたからだ。

 

現場で働く人を下に見ていると痛い目にあう時代が到来していることに

気づいていない人が多い。

バランスが悪い。

崇め奉れという意味ではなくて、

なんというか、言葉にならないことがあります。

 

京都は八百屋が乱立していてライバルも多いですが、

こういうところはもっと連携していきたいんですけど、

もっとがんばらないといけないですね。

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