近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

京都に移住して一年が経ちました。32歳になりました。

 

いろいろ詰め込み過ぎの一年でしたが、京都に帰ってきて一年が経ちました。
元気で過ごせていてそれが一番幸せです。
なにはともあれ京都に帰ってきてよかったなと思っています。

1)八百屋の後を継げた。

 八百屋を継ぎたいと思ったのは今から5年も前の事ですが、ちゃんと八百屋を継ぐことができたことは、自分の人生の中でもとても大きな成果です。
八百屋自体は始めてまだ一年経っていません。もっともっといろんなことにトライしたいと思っています。自分にしかできないことですし。
最近なんで八百屋を継いだのか、と聞かれたら、「自分にしかできないから。勝手な使命感です。」と答えることにしています。

2)家族で楽しく暮らすことができている。

 そういえば京都に移住する前のさらに地元カンパニーで働く前に、コーチングを受けたのですが、その時に自分の理想的な姿を、夜家に帰ったら明るい家で家族で夕食を食べること、と定義したのですが、それが実現できていることがうれしいです。朝は早いですが、満員電車に揺られること無く、6時半には家に帰って、奥さんとこどもと3人で晩ごはんです。

ぼくはこどもの頃からこのスタイルだったので、それ以外の生活が想像できなかったのですが、こどもができたタイミングでこれを実現できて本当によかったです。京都に帰って、自分が好きな場所に家をつくったからこそできたことです。

3)健康になった

 野菜中心の生活になって、あきらかに体調がいいです。そりゃ風邪をひくことはありますが、痩せたし、体が軽いし、自分自身が健康だなって思えていることがいい状態だと思います。
 京都だからどこでも自転車でいくっていうのも関係しているかもしれない。自転車生活と野菜生活は健康の最高のエッセンス。

4)京都はいい

 同年代で自分で仕事つくって、じぶんで暮らしを作っている人が多いので刺激だらけだし、成長意欲がやまない。毎日おれもがんばろうと思える。
 田舎と都会が近いのも本当にいい。フレッシュな気分になりたいときはちょっと車で遠出すればすぐ自然。日常の便利な都市機能はちゃんと使う。子育てにはほんとにいい。

 

5)新しいことを始めたい。

 この一年間は、東京から家族まるごと引越て、家建てて、DIYして、店もDIYで直して、八百屋始めて、やることなすこと全て新しいことでした。

 次の一年はちゃんと八百屋を続けること、プラス新しいことをやめないこと。京都は八百屋が多い。僕が八百屋を継ぐと決めた時はあんまりなかったのに、今やマイファームとか坂の途中とか。すごい嫉妬もする。焦るけど焦らない。自分にできることを粛々とやる。もうぼくはあんまり焦らないってずっと前に決めたんで、自分なりにこれからもやっていきます。

 八百屋をやっていると、思うことはとっても多いです。オーガニックうんぬんの前にやっぱり野菜と果物を食べる家庭が減りすぎている。そこが社会の一番の問題なんじゃないかと思う。肉も野菜も果物もバランスよく食べる、バランス良い世の中になるために仕事がしたいです。

それを踏まえて新しいことやりたいな、というのが32歳の目標です。

32歳もどうぞよろしくお願いします。

京都に移住して7ヶ月が経ちました。

5年前に、実家の八百屋を継いだら面白いな。と思いました。

移住をするのに5年かかりました。

この一年は目まぐるしいものです。

一年前に、出産準備のため、所沢にある妻の実家に居候のため東京から引越。

1月にこどもが生まれました。

4月で、株式会社地元カンパニーを退職しました。

5月、ゴールデンウイーク明けに、家族3人で京都に引っ越し。一先ず実家に住みます。

この間、約1年をかけて、父の実家である築120年の町家をリノベーションしました。

その仕上げの部分をできるところはDIYで、床塗り、ウッドデッキ、物置き、棚、その他諸々、大工仕事の日々。

6月半ばに完成。

そこから少しずつ、父親について回って事業の勉強。

まずは閉まっていた八百屋のシャッターを開けたい。

そういう思いで、お店をまたまたDIY。床を塗り塗り。照明を変え変え。

8月半ばに八百屋を新規開業して、今に至ります。

想像していた以上に、お客様にお越しいただけるお店になって。

想像していた以上に八百屋のおっちゃん仕事をしています。

自分の土台を作るために、もう少しこういうことを続けるつもりです。

 

僕は京都移住と事業承継という二つのことで表現したいことがあります。

「続ける」ことをしている人がかっこよくなる世の中づくりです。

僕が京都に移住した最大の目的は「家族」を続けることです。

結婚して、妻とこどもがいます。

家に帰って、家族でおいしいご飯を食べる。これをずっと続けたいのです。

それを実現するために一番良いのは、京都で家業を継ぎながら暮らすことだと判断しました。

なので、家族でおいしいご飯を食べるために、家業を続けるために、しっかり稼ぐこと。を、これからも続けていきたいと思います。

 

そして、地元に戻って、自分の家族とおいしいご飯を食べるために、家業をついで泥臭く働くことってかっこいいよね、

っていう世の中になるように、表現を続けていきます。

 

移住は時間がかかります。かけた時間の分だけいろいろ背負い込みますが、支えてくれる方々に深く感謝をして、

しっかりと、続けていこうと思います。

 

移住は、時間がかかります。

僕にとって移住は、泥臭く、続けることです。

 

 

 

京都に戻ろうと思った理由〜岡山編〜

 

※この投稿は、2013年5月に私が前職である株式会社地元カンパニーに入社した時に書いた記事です。大企業で働く続けることに疑問を感じつつも、なかなか現状から脱却できなかった自分からの解放がテーマの記事です。20代中盤でモヤモヤ期のサラリーマンの方は是非どうぞ。

 

人生なんとなくモヤモヤしている社会人のみなさまこんにちは。

こちらは大手ゲームメーカーを退職し、

実家である京都の八百屋を継ぎたいと思いたち、

現在は地元カンパニーという会社で働いている30歳既婚男性のブログです。

なんで東京で大企業にいたのに、京都に戻ろうと思ったのか、

つらつらと書き連ねています。

前回の投稿で、京都に戻ろうと思った理由、モヤモヤしていた理由の一つで

鳥取県の田中玄洋さんからの影響について書きました。

実は、もう一人、僕がセガにいる最中に

僕のことをモヤモヤさせる地域で頑張る人がいました。

井筒木綿子さんというのですが、(以下あだ名のもめで呼びます)

今は岡山県西粟倉村の村楽エナジー株式会社でバイオマスエネルギーの

最先端を突っ走るパートナー、井筒耕平さんをありとあらゆる面で

支えながら二人の子育て中。

もめは大学時代のゼミの同級生なんですが、

当時は特にというか、全く仲良くなかったんですね。

僕は前回の記事の通り、ゼミで鳥取の農村体験イベントなんかを企画したりして

何かと活動的だったのですが、彼女は大学は授業だけ受けてそそくさと帰るタイプの

学生でした。

ところが、

僕が社会人2年目くすぶっているところに、もめが会社を辞めて結婚して

岡山でいなか暮らしを始める情報が飛び込んできます。

なにそれ。

もめと耕平でmenpeiというユニット夫婦に。

二人のことはこちらからどうぞ。menpeiのサイトです。

facebooktwitterから飛び込んでくる、もめの充実したいなかLIFE。

ある日、友人とともに僕はその事実をこの目で確かめるために、

吉永という町を訪れます。

そこで語られる、充実の日々。会社組織に捕らわれない生き方、自分に正直な生き方。

がつーんときました。

でも不安でしょ、稼ぎが持つのかとか。その辺の話はその時は聞かなかったかな。

まだ、モヤモヤしながら別れたのかな、その時は。羨ましさが募っただけで。

それから、ますますモヤモヤする僕。

もめはコーヘイさんと共に、今度は上山集落というところに移住。

棚田の再生と林業再生に取り組む。子供もできる。

会社辞めて田舎暮らしで子育てできるんだ。

もめはますますきらっきらに見えた。

上山集落の本も読んだ。もめが自分でつくった、子供が産まれるまでの映像も見た。

なんだこの生き方は、と。

それでいろいろコメントすると、またもめが煽ってくるわけですよ。

こっちの世界は楽しいぜ、とばかりに。

環境を変える不安、新しい世界に飛び込む不安、

会社という大きなものに守られなくなる不安、

ちゃんと稼いで生きていけるのかという不安。

それは一生つきまとうものだけれども、それを超越した次元で生きていくことを選択した人。

僕がモヤモヤした時にいつも出てくる、もめの姿。

もちろん、楽しいことばかりではない、むしろ辛く苦しいことのほうが多いはず。

しかし。

京都に戻る決意をした今、生きていく手段、場所は全然違うけど、

自分の力で今、未来をつくっていくという生き方に少しずつ近づいてきて、

もめと同じフィールドに近づけたかなと思っています。

地元カンパニーに転職した去年、夏休みに上山集落のもめとコーヘイさんを訪ねて、

家に泊めてもらいました。

もめに上山集落を案内してもらいました。

なぜか岡山の限界集落の山頂にあるヘリポートで、もめは話してくれました。

上山集落で人と人がつながる、巻き込み巻き込まれて巻き起こるめくるめくストーリー。

一般的には無謀と思われることに信念をもって取り組むことで生まれる充実感。

「いろんな人が主体的に関わることで、ちょっと信じられないことが起こっている。

 ディズニーランドよりドキドキする出来事が毎日起こっている。

 外から人が集まって、一つ一つが奇跡みたいにつながって、

 また新しいエネルギーが生まれていく。

 だから毎日がメリーでたのしいんやで」

と、そんな語り口だったと思います。

その時のもめはうっすら目が潤んでいました。

僕は、もめと話して初めてブルっと鳥肌が立ちました。

田舎だからではなく、町でもできる、京都でも僕はそんな体験をしたい。

今はそう思っています。

ブルっと鳥肌が立つような瞬間、感じたくないですか。

地域で当事者になって、人と人とをつないでエネルギーを集めて、

新しい生き方を示すことができる人間になりたいと思います。

とはいっても肩肘張っていたらできないし、

それが自然体でできる人が、今かっこいい人だと思います。

自然体で、自分が正しい、やりたいと感じたこと、衝動に従って

しなやかに生きていきたい。

いつもそう思わせてくれる、もめとコーヘイさんと風太くんとたねちゃんと、

また会えるように、がんばらねばいけませんね。

コーヘイさんが代表の会社、村落エナジー株式会社

http://sonraku-energy.lolipop.jp/wp/

2回続けて、外部の人に影響を受けた話を書きました。

この2つだけが、セガを退職して京都の八百屋を継ごうと決意した要因ではありませんが、

大きな組織にとらわれず、オンとオフの境界線をなるべくなくし、

今目の前を生きている二組の影響はとても大きいものでした。

あと、玄洋さんもmenpeiの二人も結婚して子育てもしているところも

とても尊敬、そして共感できるところです。

地域のトップランナーになるのに子育てはハードルではない、

それすらも人生の喜び楽しみとして実践していく姿勢を見習いたいです。

子どもは尊いです。