近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

事業承継で直面するいくつかの悩み①〜父親との関係について〜

最近、事業承継について話を求められることが多いので、

手が空いた時に思いついたことを書き留めていこうと思います。

 

私の八百屋、西喜商店は先祖代々の家業を継いだパターンの

事業承継です。

おおよそ90年前に曽祖父が始めた八百屋を、

祖父が今の場所で引き継ぎ、

さらに父親が引き継ぎ、

今現在私が引き継いでいます。

 

従業員は雇ったことは無く、

これまでずっと家族だけで商売を続けてきました。

 

これで難しいことが、父親との関係です。

至る所でお話しているのですが、

私は父親のことが好きではなく、

父親のようにならないようにという一心で生きてきました。

その結果八百屋を継ぐことになったのですが。

 

今は父親と二人で仕事をしています。

していますが、いかにして父親に会わないようにするか、

というのが自分の至上命題です。

店番には母親も手伝ってくれるので、

母親を壁にしてうまく回避しています。

 

父親とは一緒に仕事はできません。

父親はいまだになぜ私が八百屋を継いだのが、

その意味は理解できていないと思います。

父親は完全なる昭和人間で、

情報収集の強度は新聞、AMラジオ、週刊誌、テレビの順番です。

インターネットに触れたことはありません。

 

この時代だからこその八百屋の価値、

例えば野菜を食べる楽しさを伝えること、

生産者の価値を伝えること、

小商いの面白さを伝えること(どこで買うかではなく、誰から買うかの時代)

は理解できません。

伝えても無駄だと思っています。

 

コーチングやカウンセリングを受けて、

父親との関係を改善したいとも思いません。

このまま穏やかに時がすぎることを望んでいます。

(ちなみに私自身はコーチングを受けたことがあり、

 その価値、意味、技術の凄みは理解しています)

 

それでいいと思っています。

多くの人が悩む時代の閉塞感の一因は

団塊の世代(その近辺の世代)の一定層で、

依然として昭和的価値観が残っているからだと考えています。

(もちろん、その世代の方でも時代の潮流、価値を読み取る

 感度の高い方はたくさんいらっしゃいます)

私の父親はその典型です。

これは変えることができません。

来るべき時が来るのを待つしかありません。

それが事業承継の一部だと考えています。

 

親子間の関係は、家庭ごとに全く異なりますし、

正解はないはずです。

ただ、親は子の考えの変化についてこれることは稀だと思いますし、

劇的な変化を望むことは難しいでしょう。

 

うまく流れを見て、

自分のやりたいことを、

これまで先代が作ってきた事業の中でどう組み込み、

どう表現するか。

難しいことですが、家族間事業承継の際に

最初に立ちはだかる壁であり、工夫すべき点かと思い書きました。

 

※同じ境遇の人同士で飲んでパーッと憂さ晴らしするのが

 一番いいと思います!!

 

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八百屋という職業の価値を高める必要がある。

八百屋に限らず、農業でも、漁業でも、

第一次産業に近い位置で働いている人の価値を高める必要がある。

 

まず、八百屋をやっていると3割位のお客さんがタメ口で話してくる。

ありえない。

たまにキレてタメ口で聞き返すこともある。

ありえない。

あきらかに八百屋という職業を下に見ての行動だ。

すっかり常連さんになった近所のおばちゃん、とかはいいんやけど、

どういう了見で接しているのかと聞きたくなる。

 

次に、名刺交換をした時にはぁ、八百屋・・・みたいな感じで

マウントポジションを取りに来る人がいる。

そういう態度をされたらすぐに、

元々SEGAで働いてまして云々の話をすることにしている。

態度が180度変わることも多い。

 

市場の問屋さんあたりも最近は丁寧に接してくれる方が多い。

京都新聞に載ってから態度が変わった人もいる。

 

僕は年下の人でも基本的に仲良くなるまでは、

敬語で話すことにしている。

人としてそれが当然であるという教育を受けてきたからだ。

 

現場で働く人を下に見ていると痛い目にあう時代が到来していることに

気づいていない人が多い。

バランスが悪い。

崇め奉れという意味ではなくて、

なんというか、言葉にならないことがあります。

 

京都は八百屋が乱立していてライバルも多いですが、

こういうところはもっと連携していきたいんですけど、

もっとがんばらないといけないですね。

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八百屋冥利

実はこっそり「野菜の定期宅配」をやっています。

ご自宅や職場まで僕が選んだオススメ野菜&果物セットをおまかせで

定期的に配達しています。今は知り合いのみです。

このサービスを利用いただいているお客さまから、

「西喜商店に関わってから食べることや料理が本当に楽しいです」

というメッセージを突然頂きました。

ありがとうございます。月並みですが、八百屋冥利につきます。

そう言ってもらうために仕事をしていて、その通りの言葉を頂くのは

とてもとてもうれしいです。

 

嬉しくて、衝動で書きたいことを書きたくなりました。

他のお客さまにも言ってもらえますが、「良い野菜」が手元にあるというの

は、自分の体にとって一番の贅沢だと思うんですね。

というのは、食生活が変わって今は不健康どうこう言いますけど、

平均寿命はどんどん伸びているわけで、

それはもちろん医学の進歩の影響が圧倒的に大きいわけですが、

昔の菜食中心の生活でも日本人は長生きしていたわけじゃないですね。

どういうことかというと、昔は物流が発達してなかったから、

食べている野菜なんてその辺の畑でとれた、

人参玉葱大根白菜ほうれん草キャベツネギ、

そんなところだったと思うんです。

今は物流が発達したことに加え、農業の技術も大いに進歩して、

野菜だけでも、味付けなくてもおいしい野菜がたくさん増えてきました。

大根サラダで、なんて言いますけど、昔の大根なんて辛くて

生で食べてもおいしくなかったとは親は言います。

そういう意味でも、おいしい野菜が手元にあるっていうのは贅沢なんです。

フルーツトマトも、紅まどんなも昔はなかった品種ですし、

くらま大根なんてほぼ手に入らないですし。

でも、この贅沢を誰にでもできる贅沢にしなきゃだめなんじゃないですかね。

それが八百屋の仕事なのではないかと常日頃考えています。

お客様の手元においしい野菜が常にあってほしいなと思うのは、

野菜が美味しいと野菜を食べようと思うからです。

野菜はまずいって思ってしまうと野菜食べなくなりますからね。

 

なんでもバランスよく食べることが大事だと思います。

野菜も食べて、お肉も食べて、お米も食べて、お菓子も食べて、

ラーメンも食べて、自分の体を考えてバランスよく食べて、

それがいちばん大事なんじゃないですか。

 

八百屋はその時期にあるいい野菜と果物を、バランスよく提案できる

唯一の仕事です。

心も体もバランスよく生きることが一番大事だと思ってるので、

そのバランスを整えるための仕事ができればといつも思っています。

 

おいしい野菜食べると、気分良くなりますもんね。

それでいいじゃないですか。

気分良く、元気に生きていくのが一番いいと思います。

そういう意識をもった人が一人でも増えてほしいなと思って仕事をしています。

いつもありがとうございます。これからも一人でも多くの人が心も体も

元気になれるような仕事をしていきたいです。