近藤貴馬(西喜商店 四代目)のブログ

京都の老舗青果店、西喜商店の四代目。㈱セガにて6年間営業職を務めた後、㈱地元カンパニーに入社。「地元のギフト」事業の全国展開を担当。営業のみにとどまらず地域に関わる様々な業務をこなし、2015年に京都にUターン。現在はリノベした京町家に住みながら、西喜商店の事業拡大に取り組む。

京都に戻ろうと思った理由〜鳥取編〜

 

※この投稿は、2013年5月に私が前職である株式会社地元カンパニーに入社した時に書いた記事です。大企業で働く続けることに疑問を感じつつも、なかなか現状から脱却できなかった自分からの解放がテーマの記事です。20代中盤でモヤモヤ期のサラリーマンの方は是非どうぞ。

 

地元カンパニーに転職して1年3ヶ月がすぎました。

転職したてで書いたブログを1年以上放置していたのですが、

この半年で5人の人に更新してくれと言われたので、ようやく更新することにしました。

よくある社会人モヤモヤ解消の記録を綴っていきます。

僕の自己紹介とセガを辞めた経緯は過去の記事を参考にしてください。

モヤモヤしている原因は、人それぞれだと思いますが

私がモヤモヤしていた原因にはそれまでに出会った人の影響も大きいです。

それが前回の記事の3つ目の理由に当たる部分ですね。

まず、僕は大学時代に鳥取県の智頭町中島集落というごくごく小さな集落を舞台にした

農村体験イベントを企画したことに端を発します。

そもそも最初の最初、意識高い系イベント企画系大学生であった僕に、

鳥取の集落は魅力のない場所でした。

ここを舞台に何か事を起こしたい後輩がいて、

ゼミの先生が見るに見かねて僕に声をかけて、

プロジェクトを作って助けてやって欲しいと声をかけて頂いたのが

最初だったと思います。うまくプロジェクトを進められない後輩に

イライラしながら無理やり鳥取に連れて行かれて京都からのバスの車中

後輩に説教していたことを覚えています。

そこで出会ったのが、学生人材バンクの田中玄洋さんです。

最初は玄洋さんがどんな人かもわからないし、田舎以上の田舎だし、

と思ったのですが、玄洋さんを中心に集落のおじさんに村を案内してもらって、

「良い、これは良い」となんとなく思いました。

何にも無いけど、畑があって野菜はそこら中にあるし、景色はキレイだし

山に入れば天然のわさびまである。美しい。素晴らしい。

でも、そこに住んでいる人たちは補助金で作ったログハウスの公民館の

活用方法に悩んでいる。この場所のために何かしたい、直感的に思いました。

多分帰りのバスは、結構興奮して後輩に話していたはずです。

それから、ゼミのメンバーと企画を考えて、玄洋さんを通して企画を練り上げて

3年生の夏に京都の学生15人ばかりを連れて2泊3日の農村体験イベントを実施しました。

「村咲ク」という企画です。鳥取の大学生との交流の場にもなりました。

どろんこバレーをしたり、みんなで野菜を収穫してカレーを作ったり、

集落で過ごした体験を写真にとって、村の魅力を村民に発表するような企画をしたり、

それはそれは楽しい時間を過ごせました。

集落の人も若い人が来て本当によかったと喜んでくれました。

やってよかったなと思う一方で、玄洋さんへの尊敬の念が高まりました。

鳥取大学進学の為に、静岡から鳥取へ居を移し、

学生人材バンクを立ち上げ、鳥取の学生と地域を結ぶ人材ネットワークを構築し、

鳥取を駆けまわって地域の人からの信頼を獲得する玄洋さんの継続力、その力は

本当にすごいと思いました。

それから大学を卒業するまで、6回位は鳥取に行ったと思いますが、

地域に根を下ろして活動することの素晴らしさを痛感しました。

玄洋さんは僕達が卒業したあとも、この小さな中島集落での

「村咲ク」をずっとサポートしてくれています。

もう、9年連続で。本当にすごいし、感謝です。

それから、就活に入った僕ですが、

当時は地域で働くというのは選択肢にありませんでした。

地元カンパニーも無いし、仕事百貨もないし、greensもないし、

何の情報もありませんでした。

しかもにわかに景気はやや右肩あがり、就活生は売り手市場。

僕も就活はスイスイ進み、セガに内定。

その後、ずっとモヤモヤしていた原因の一つは、

玄洋さんがあんなに地域でがんばっているのに僕は何をしているんだ?

という感情でした。

でも、それを解消する術がなかった。

セガレに入って、セガを辞めて、地元カンパニーに入って、ようやくそれが解消されました。

結局やりたいことを見つけて、それをやる以外にモヤモヤを解消する方法はないということですね。

イコール、リスクを取るということです。

僕は、社会人経験を積んだ結果、今リスク全開の道を選んで、

地元で生きる選択をし、その為に地元カンパニーで今働いています。

最近、良く大学生に会う時に言います。

今は、20代30代でイノベーションが起こって、

優秀な人がドンドン地元地域に戻って仕事を作っている。

僕が学生の頃はそんな働き方があるなんて知りもしなかったけど、

今は選択肢があるし、地元に仕事が無いとか言うのは嘘で、

やる気が無い人がやってないだけで、やることはたくさんある。

確かに大手企業で、営業の経験を積むのもかなり重要だし、

会社で働けばこの国がどういう仕組みで動いているのかよく分かる。

一方で、やりたければ即地元地域で働くこともできるのが今です。

どちらが良いか正解なんかはないと思うので、

自分がやりたいと思うことをドンドンやっていけば良いというのが

結論だと思います。

やりたいことが無いとかいう人は無責任ですけどどっか適当に就職するのも

良いと思うし。そして、そこでモヤモヤしたらやりたいことできるかもしれないし。

結局モヤモヤを解消するにはやりたいことをやるしかありませんしね。

地域で頑張っている人がかっこよく見えるのも、

やりたいことをやっているからです。

自分でもなんでこんなリスクある方向にばっかり向かうのか

わからなくなる時がありますが、やりたいのだから仕方ないと言い聞かせています。

これからもっともっといろんな生き方、働き方が生まれてくるし、

その中で、一生懸命生きていく、

それを実践する立場でいたい、いつまでも挑戦者でありたいと思うわけです。

今日はこれまで。

玄洋さん、いつもありがとうございます。

NPO法人学生人材バンク

 

ピーマン一個畑で収穫するのがものめずらしかった、

20歳の夏。12年前。